糸紡ぎと運命の毒草

ベラドンナ

今年はなかなかすっきりと梅雨明けしないまま寒暖の激しい気候が続いています。今日はスッキリ清涼感のあるクリスピーをしっかりと抽出してから氷に注ぎ、冷たいミントティーをご用意致しましょう。もし消化機能が落ちているようでしたら温かいままお出しいたします。お茶を待つ間、もちろんhortulusの棚には並べておりませんが、運命の毒草ベラドンナにまつわるお話にでもお付き合いください。

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ベラドンナAtolopa Belladonnaはヨーロッパから西アジアを原産とするナス科の植物です。夏になると日陰でひっそりと釣鐘状の暗い赤紫色の花を咲かせ、その後に実る小さな果実はつやつやと輝き、美しい紫色に色づきます。地味な見かけの割に猛毒で、葉を触るだけでもかぶれたり、口にすると顔面蒼白、嘔吐や散瞳、異常興奮を起こし死に至ることもあります。「Deadly night shade=命取りの夜の影」の異名のごとく、薬物史上有数の毒草として数々の毒殺事件にも使われたようです。

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中世の頃は「悪魔の草、魔女の草」と呼ばれ、彼らが魔術や幻覚を起こしたり、空を飛ぶためにアコナイトと混ぜて体に塗ったのだとか。彼らは悪事の傍ら毎日欠かさずこの草の手入れをしていますが「ワルプルギスの夜」(ブロッケン山に集まって魔王と宴を張る五月祭り)の前夜だけは宴の準備で忙しいので草から離れます。その隙にベラドンナを奪い取ることができれば薬として正しく使うことができる、という言い伝えがあります。ちなみにこのブロッケン山、「ブロッケン現象」が起きることで有名なドイツ中部の高山です。

学名のアトロパAtolopaとは…ギリシャ神話に登場する人間の運命を操る『運命の三女神』の一人の名前です。三人纏めてモイラとかフェイトなどというトリオ名がついていますが、この三人は生後三日目の赤子の枕元にやって来て、まずクロトが体の中から運命となる糸を紡ぎ出し、ラケシスが命の長さを定めて糸の長さを測り、アトロポスは鋏でその決められた長さで糸を断ち切るのです。つまりこの植物は運命の糸を断ち切って死をもたらす程の毒をもつことからアトロポスに由来してアトロパに。

今でも古代ローマ文化が残るルーマニアには、赤ちゃん誕生3日目の夜は戸の鍵を開け、犬は繋ぎ、ローソクを灯したテーブルに3人分のケーキや小麦粉や塩、麻や絹のハンカチ、コインなどを用意しておく風習が残っている地域があるそうです。

この『三女神』も多くの絵画や彫刻のモチーフとなり、其々の名前がつけられた惑星もあります。また「Cloth布・織物」「clothes衣服」の語源になっている「クロト」は、1997年に発見された寿命の長さを決める長寿遺伝子の1つに「クロトー遺伝子」と命名されています。発見者の黒尾誠教授と鍋島陽一教授、ナイスネーミングです!

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糸紡ぎ、運命の決定、3人の女…ここで勘のよい方はお気付きですね。そう、この神話は『眠れる森の美女』の下地になっています。しかしディズニ―映画に見るハッピーエンドのメルヘンまではには長い変遷があります。元ネタは14世紀にフランス古語でかかれた古譚「ペルセフォレ」、そこから17世紀前半ナポリ方言で書かれた「太陽と月とターリア」(バジーレ著、民話「ペンタメロン」採録)、そして17世紀末のペロー寓話「眠れる森の美女」と伝承され、各地に似たお話が広まっていますが、その実、内容はレイプだ、不倫だ、人喰いだ、とかなりadultエンターテイメント系昔話だった訳です。

中世ヨーロッパの農村部では、冬の間“糸つむぎ部屋”に若い娘たちが毎夜集まっては共同で亜麻から糸を紡ぐ作業を行うのが恒例となっていました。女子が集まる所に群がる男子、次第に地域の男女の夜の集いは “糸つむぎ部屋の乱痴気騒ぎ”と称される程に浸透していたようです。ギリシャ神話の時代から糸つむぎは女性の仕事、紡錘で指を刺されることが破瓜を意味しているのだとか。しかしキリスト教的にはこの不埒な風紀の温床を見過ごすことはできん、と度々規制をしてきたのですが、産業革命で糸紡ぎの手仕事が廃れるまでヨーロッパ各地でこの習俗は途絶えることはありませんでした。グリム兄弟の『いばら姫』では、姫を案じる国王が国中の糸つむぎ道具を廃棄するように命令していますが、これは当時の行政による「糸紡ぎ部屋の禁止令」の暗示だったのです。あたりご興味のある方、ただし大人限定、『ねむり姫の謎 糸つむぎ部屋の性愛史』(浜本隆志著、1999 講談社現代新書)などめくってみてはいかがでしょうか。このあたりのことを踏まえて映画「マレフィセント」(2014 米)のDVDを鑑賞するのもまた一興かもしれません。

 

このお話、19世紀になってようやくドイツのグリム兄弟が『子供たちと家庭の童話』の1つとして、⑱禁の不適切な部分を削除して夢のあるお伽噺に仕立てあげました、めでたしめでたし… 余談ですが“運命の糸”といえば、西洋だけでなく東洋にも結婚式で花嫁と花婿を赤い布や紐で結ぶ風習があったり、中国の縁結びの神様「月下老人」が赤ちゃん同士の足を赤い糸で結んだという伝説から、日本でも「運命の人とは小指同士が赤い糸で」とよく言われます。全ての運命は糸に通ず、ということでしょう。

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ベラドンナBella donnaとは「美しき貴婦人」という意味で、その所以はルネサンス期に遡ります。この植物は「汁を目に点すだけで、あなたも大きく潤んだ瞳に♡」といういとも危険な化粧法、今でいえばプチ整形が流行りました。べラドンナに含まれるアルカロイド(少量で激しい作用をもたらす物質)のひとつ、アトロピンの作用で瞳孔を開きっぱなしになり目が大きく見えるのです。当時の女子が舞踏会に出る時、写真撮影の時に欠かせないアイテムとして飛びついた様子は想像に難くありません。もちろん失明の危険もあり、過剰な使用は生命の危険さえありました。今ドキの女子はカラーコンタクトやスマホアプリで簡単にデカ目加工、良い時代になりました。

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ベラドンナには近似種があと2つあります。1つは漢方で使われていた莨菪(ロウトウ)Hyoscyamus niger L 別名ヒヨス、もう一つは日本の走野老(ハシリドコロ)Scopolia japonica。これは根茎がトコロ(野老)という山芋に似ていて、柔らかな葉は馬が食んだり山菜と間違えて食したりしてしまうとすると気が狂ったように走り回るためです。今でも本州から九州まで広い範囲で開けた林にはさりげなく群生していてますが…誰か思い浮かぶ顔があったとしても決して悪用なさらぬように…。

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この3種、植物分類上は全く種が異なりますが、生薬的には同一のアルカロイド(アトロピン、ヒヨスチン、スコポラミンなど)の作用から同じ仲間として扱われています。近代薬学では各成分が安全に抽出され、アトロピンのデカ目効果そのまま目の検査や治療に使う点眼薬や、抗コリン剤としてパーキンソン病の薬や市販の感冒薬、鼻炎薬、胃腸薬、酔い止めに使われています。ちなみにロート製薬のロートとは、同社の前身「信天堂山田安民薬房」が明治末期に当時の眼科医界の権威、井上豊太郎博士が恩師のロートムンド博士の処方箋を参考に処方した目薬を、「井上博士のロート目薬」というコピーで売り出したのであって、ロートエキスとは無関係です。

また、アトロピンは農薬や殺鼠剤に使われる有機リン剤や神経ガスなどの中毒の解毒剤として有効で、地下鉄サリン事件の際も硫酸アトロピンの注射が多くの人の命を救いました。米軍では神経ガス兵器に曝露した時はアトロピンを打つ事がマニュアル化しているそうです。さらに最近、有害物質のポリ塩化ビフェニール(PCB)を吸収し解毒する効能があることが発見され、ベラドンナ使ってPCBで汚染された土壌の浄化に使う研究がされているそうです。

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江戸末期、ハシリドコロに関わったために運命を狂わせた人がいました。徳川将軍の奥医師だった土生玄碩(はぶげんせき)は広島出身、豪放磊落と遊蕩で有名だった反面、当時の医学界では最高権威を認められていた眼科医でした。土生は江戸に滞在中のシーボルトがベラドンナの液剤で瞳孔を広げて豚の目を使って白内障の手術を行うのを見学して驚き、シーボルトに教えを乞いベラドンナの液を譲ってもらいます。しかし2度目は自身の手持ちも少なくなったのか断わられてしまいます。しかし、どうしてもベラドンナを入手したかった土生は、その場で着ていた将軍家拝領の葵の紋服を脱ぎ「どうかこれで…」と懇願します。シーボルトは紋服を受取ると「実は日本にもベラドンナ、あるよ」と日本固有種であるハシリドコロを教えたのでした。実は、尾張の本草学者、水谷豊文は自身が写生したハシリドコロを見せ、この蘭名を教えて欲しいと頼んだ時に、シーボルトはそれをベラドンナと誤認識して教えていたのです。以来、土生玄碩は美濃国根尾山産のハシリドコロを取り寄せて数々の白内障の手術を成功させたのでした。ところが1828年、シーボルト事件で「葵の紋服」が明るみに出てしまい、拝領品を人手に渡した土生は閉門謹慎、座敷牢に入れられ財産没収となりました。晩年は蟄居ながらも医療行為が黙認されていたともいないとも…波乱の運命ながら「我が生涯に悔いし」という述懐の言葉を残して1848年8月17日に87 歳で永眠、現在は築地本願寺境内の親鸞上人の銅像の横に埋葬されています。

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片や国外追放になったシーボルトは再来日し、19世紀の日本の自然や生活文化に関わる膨大な資料を収集して、今度は堂々とヨーロッパに持ち帰ります。当時未知の国だった日本を紹介すべく各都市で「日本博物館」を実現し、その後のヨーロッパにおけるジャポニズムの流行の先駆者となったのでした。この夏休みから、シーボルト没後150年記念として「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」の全国巡回展が始まっています。

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さて、夏休み何をしようかしら、とお考えの方、ベラドンナゆかりの読書やDVD鑑賞もよし、有名人の墓巡りや博物館に足を運ぶのもまたよし、楽しい夏休みになりますように。