日本発のヨーロッパの風景

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10月も終わり、そろそろ夕焼けが名残惜しい季節になってきました。秋口は冬に向けて冷えにくい体を準備する時期です。今日は体を温めるWarmを入れましょう。お茶が抽出されるまでWarmに入っている血行促進ハーブ、ギンコのお話でもいたしましょう。

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欧米での銀杏のことをginkgoとかいてギンコと呼びます。現在の日本では銀杏と書いて葉や樹のことはイチョウ、実のことをギンナンと読み分けていますが1666年に出版された『訓蒙図彙』には葉も樹も実も指して音読みで「ギンキョウ」と書かれていましたイチョウの語源は貝原益軒の一葉(いちよう)説よりも、葉が鴨の足に似ていることから中国で鴨脚(宋音でイーチャオ)と呼ばれており、中国で学んだ渡来僧が「イチョウ」と言い伝えたという説のほうが有力です。また、祖父(公)が種を蒔くと孫の代に実が食べられることから公孫樹と書いてもイチョウと読みます。白い種子は銀(ぎん)色で形が杏(あんず)の果実に似ているので銀杏(ぎんあん)転じてギンナンとなりました。

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まず銀杏は葉が広いのに針葉樹の仲間、しかも精子による生殖を行う裸子植物、という稀有な生態を持っているのですが、そのあたりはまたいつかお話しましょう。そんな銀杏のことを「生きた化石」と初めて表現したのは進化論で有名なイギリスのダーウィンでした。

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さて、銀杏の壮大な歴史をぎゅっと纏めると、今から約2億年以上前に出現した銀杏は、ジュラ紀には恐竜と共に繁栄し北半球の全域に大規模な森林を作るほどでしたが、約6000年前に恐竜をはじめ多くの動植物と共に地球上から姿を消しました。銀杏を食し糞で種を運んでいた草食恐竜の絶滅と、銀杏の生殖を阻む気候変動があったと考えられています。

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絶滅したと思われたていた銀杏でしたが、現存の一種Gingko bilobaだけが東アジアの一部の地域で太古の姿のまま生息していたのです。復活のきっかけは10-11世紀以降で、中国南部の浙江省天目山の山奥で発見された銀杏が保護され、市街地に植栽されたのがはじまりといわれています。しかしその地は定かでありません。

日本には鎌倉時代(1200~1300年頃)に食用果実して留学僧が持ち帰ったり豪族による貿易品の1つとして輸入されたと考えられています。そのうち種から木として育つものが出てくると、人々は人類誕生のはるか以前から生き続けてきた大木に霊的な力を感じたり神々しさを感じて、神聖な場所に植えたのでしょう。          当時、全国に次々と造営されていたいった「八幡様」をはじめ、多くの神社仏閣の境内には銀杏がシンボリックな存在として植えられていきました。今日に残る最大樹齢700~800年といわれるような古木はこの時期に起源を持つものです。

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因みに2010年3月10日、雪まじりの強風により根元から倒れてしまった鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏は「樹齢千年」とも言われ「隠れ銀杏伝説」(1219年将軍実朝はこの銀杏の大木に隠れていた甥である阿闍梨公暁によって暗殺されたという伝説)が残されています。しかし鎌倉時代の史実を詳しく記した「吾妻鑑」の中で、公暁が隠れて様子を窺って居たのは「石階」と書かれているだけで 銀杏の樹という記載はまったくありません。当時から生えていたとしても樹齢千年というのはちょっと盛りすぎと考えたほうがよさそうです。しかし倒伏から1ヶ月後には大銀杏があった元の場所から孫生え(ひこばえ:樹木の切り株や根元から生えてくる若芽)が芽吹いたというのですから、さすがそのパワーに神秘性を感じさせます。

銀杏の枝や幹はコルク層が厚く多量の水分を含みます。また葉の七割は水分、火に強く熱を加えると水蒸気が発生する性質があるので大切な建造物をや周囲を火災から守る力は根拠のあるものです。実際に京都本願寺の銀杏は1788年や1864年の大火でお寺と多くの人を救った「水吹き銀杏」として有名ですし、江戸では火除け地に必ず銀杏が植えられていました。さらに20世紀の関東大震災や空襲の時も町や人々を守った多くの銀杏の巨木は、「火伏のご神木」として身近な信仰の対象にもなり、その雄姿は今も各地で見ることができます。

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同じ品種のなかでも葉の切れ込み方は千差万別ですし、葉に斑の入っているものを「斑入りイチョウ」、葉がロウト状に癒合したラッパ状の葉を付けるラッパ銀杏、葉に実がつくお葉付き銀杏といった様子の違う銀杏があります。また枝から円錐形の突起(気根)が垂れ下がる乳銀杏は鬼子母神の境内にもあり、安産・子育ての信仰対象とされています。

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さて時は17世紀末。シーボルトに先立って江戸時代前期に長崎の出島に赴任していた東インド会社のドイツ人医師ケンペルは、神社や寺の境内に繁茂する巨木に魅了され、1692年にドイツに帰国する時に銀杏の樹を持ち帰り植樹します。ケンペルは彼の著書『廻国奇観』の中の日本植物誌で「ギンキョウ」を「ginkgo」と綴り、このまま学名になりました。この綴りはケンペルが書き間違えたのか?誤植か?などと論争が続いていましたが、ケンペルの出身地ドイツ北部の方言では、ヤ行の発音を「g」で書き表すことから「ギンキョー」を故郷の綴りで「ginkgo」と書いたらしい、と、21世紀になってから、ようやく決着がついたそうな。

こうしてケンペルの銀杏は「東洋の美しい樹」としてオランダやイギリスの植物園で繁殖され、たった数十年でヨーロッパ全体に広まります。

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ドイツでは「宇宙の木」(由来は不明)「扇葉の木」(見たまま)のほか「ゲーテの木」と呼ばれたそうです。これは法律家であり文豪であり自然科学者であり政治家だったゲーテが、65歳にして31歳も年下のマリアンネに二枚の銀杏の葉を添えて贈った『銀杏の葉』という有名な恋愛詩(西東詩集(1819)に収録)に由来します。ゲーテはもともと女性に対する探求心が旺盛で多くの恋の名言格言を残していますが、この年に国務大臣にまで昇り詰めたというのですから、ただのお盛ん爺ではなかったようです。余談ですがその後の齢73歳にして恋に落ちた17歳の少女ウルリーケにフラれて「マリーエンバートの悲歌」なる長詩を完成。

フランスでは「40エキュの木」と呼ばれたそうで、これは1780年、ロンドンの園芸業者を酔わせて銀杏の苗木を破格の値段、当時の40エキュ(当時の金貨)で買取りフランスへ運んだことに由来。

このほか英語圏ではMaiden hair treeと呼ばれるそうで「乙女の髪」と美化した解説もありますが、実は葉の形と細かな葉脈から女性の太ももの合わせ目に見立てたというのが本当の意味だとか。(Oh♡H‼)

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その後もヨーロッパから全世界へと進出していき、温帯地域各地に根付きました。黄葉時の美しさと繁殖力、害虫や剪定に強いという丈夫さから街路樹として好まれ街並にとけこみました。つまり銀杏は園芸種ではないものの、全て人為的に栽培され植樹されたものなのです。今では春は翡翠色、秋は黄金色に街を彩る銀杏。黄葉葉の代表ともいえますが、黄葉と紅葉のメカニズムの違いについてはまたの機会に。

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『ギンコ』といえば、今や「脳のサプリメント」として世界中で有名になっています。始めて銀杏の強い生命力に着目これに注目したのは西ドイツの生薬メーカーでした。特珠な抽出技術でフラボノイドの引き出しに成功し、脳血管障害や動脈硬化症に対して使われてきました。その後ギンコライドがアレルギーや免疫疾患に対する有用性が発見されたり、ヨーロッパ中の学者から次々と論文が発表されています。今やフランス、ドイツ、スイスなどでは活性酸素除去作用からアルツハイマー型認知症にイチョウ葉エキス製剤が用いられていますが、日本ではまだ医薬品として認可されていません。

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それにしても、絶滅を逃れ中国の山中に自生していたという銀杏が、中国最古の本草書『神農本草経』に記載されていないとはちょっと不思議です。初めての記述が見られるのは、1159年 に李時珍の著した『紹興本草』。しかも実の効能(滋養強壮、せき止め、ぜんそくの改善、夜尿症の治療など)についてのみ言及されており、葉の利用については記載がありません。地上に存在するものは何でも薬としてきた中国人が12世紀になるまで使わなかったのか、それほど珍しい植物だったのでしょうか。謎が解ける日が来るのを楽しみにしています。

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コートを出したらポットにハーブテ ィーを入れて銀杏を訪ねに出掛けてみませんか?身近な住宅街に立つ孤高のご神木の由来を知るのも良し、またフランス映画のワンシーンを思わせる銀杏並木を歩くのも良し。ただし、ひとたび実を踏んでしまったらあの臭いを放つ靴で電車もバスも、もちろんご自分の車にも乗れません。ふみ潰したりなさいませぬよう、十分お足元には気をつけて…