小さな粒の大きな活躍

フェンネル

雨が止みそうもない今日は、いつか読もう、いつか聴こう、いつか観よう、いつか作ろう、そんな後回しにしていたお楽しみには絶好のお日和です。こんな梅雨の季節は思わぬ夏風邪や食中毒も心配、免疫力もキープしておきたいところです。今、ガードを淹れます。クセがある風味は意外にクセになりますね。では、お茶が入るまでガードにも入っているフェネルのお話にお付き合いください。

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フェネルは地中海沿岸を原産とするセリ科の多年草です。すくすくと高さ1.5mから2mほどまで早く伸びますが茎の中はストローのように空洞です。枝別れしながら羽の様な細かく香りの良い葉を広げますが、すぐにドライフラワーのように枯れた様子になってしまいます。この様子から学名はFoeniculum(ラテン語で“小さな干し草”)を冠しています。6月から8月には香りの良い黄色い小花をセリ科特有の傘状に咲かせます。花の後には、近似種のアニスやコリアンダーなどと同様、中に種を持つ小さな果実が収穫でき、豊かな香りと多くの薬効成分を含む精油が摂れます。

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余談ですが、ギリシャ神話でプロメテウスが人間の為に神々の国からフェネルの枝に火を移して盗み出した、という通説には疑問がありました。あんなシャラシャラしたフェネルの枝に火を付けたらあっという間にパーッと燃え尽きてしまうのでは?と調べてみましたら、これは古代ギリシャ語でνάρθηξと表記されているのでオオウイキョウ(Ferula communis)「巨茴香」のことでした。丈夫な茎を持つ植物なので納得。フェネルを意味するショウウイキョウ小茴香」でもなく、スターアニス(トウシキミ)を意味するダイウイキョウ大茴香」でもなく…、ややこしいですが別物です。

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紀元77年にディオスコリデスが編んだ『マテリア・メディカ』の中で、フェネルは「細長く成長する」という古代ギリシャ語の『マラトンMarathron』という名で呼ばれています。肝臓、 腸、眼の病気に良いと書かれています。「眼に良い」と云われた裏には、古代ローマ時代より「大蛇がフェネルに目をこすりつけてよく見えるようにする」という言い伝えがあったのです。これは蛇が脱皮の際に目玉の鱗がうまく剥がせないと膿がたまって失明してしまうのだそうで、パサパサした細かいフェネルの葉が鱗をこそぎ落とすのにちょうど良く、抗菌、消炎作用があるので、さすが蛇の選択は正しかったというわけです。

さて『マラトン』といえば…紀元前490年ギリシャ人とペルシャ人が闘ったマラトンの闘い。アテネの北東部にある古戦場はこの黄色い花が咲き乱れていること因んで「マラトン」と呼ばれるようになります。伝令の兵士が42.195kmを走り絶命したマラソンの起源として有名な伝説、実はマラソン競技の広告用「作り話」でした。

近代五輪の開催を提唱したフランスのクーベルタン男爵が友人の歴史・言語学者、ミシェル・ブレアに似たような史実を張り合わせて作らせたというのですから手が込んでいます。1896年に無事に五輪発祥の地アテネで第一回を開催し、おまけにマラソン競技で開催国の選手スピリドン・ルイスが優勝して大いに盛り上がり、マラトン偽伝説も有名になり大成功だったわけです。

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さて、フェンネルは “勇気を奮い立たせる野菜” として「ローマ剣闘士御用達」でもありました。もちろんカール大帝率いるローマ軍兵士もフェネルシードを強壮剤や胃腸薬として遠征に携帯し、道すがら種を撒き撒き進軍していました。しかも温泉を見つけてお湯に癒されていたり…陰惨なはずの戦争と今に遺る文化の伝播が表裏一体だったのは万国共通なのですね。信玄の湯しかり…

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こうしてローマ帝国拡大に伴いヨーロッパ中に広がると、「フェンネルを見て摘まない者は馬鹿者だ」と言わしめたほど、葉から根茎、果実、花まで全て利用できます。

白く膨らんだ「鱗茎」と呼ばれる茎の根元部分はイタリア料理ではフィノッキオと呼ばれ、初夏の食材として有名です。セロリよりさらにクセがあるので好みが分かれるところですが、生のまま刻んでリンゴやグレープフルーツ、オレンジ、洋ナシなどのフルーツと併せ、さらにミントの葉やチーズなどと盛り合わせるとおいしいサラダになります。花部も散らせばとさらに彩りも。また薄切りにしてバターやオリーブオイルで香ばしく焼くと芯まで柔らかくなり、魚料理はもちろんお肉の付け合わせになります。野菜売り場で見かけたら是非召し上がって下さい。

果実部分(フェネルシード)はウエディングケーキと焼酎のお話でも登場したように、相性の良いアニスと一緒にパンやケーキ、パイ、ソース、ビネガー、ソーセージ等の風味をつけに使われてきました。甘い香りの精油は歯磨きや線香、石鹸、化粧品、入浴剤の香料に使われていますが、例のあのリキュール「アブサン」の主成分の1つとして有名です。

また利尿、健胃、肝臓障害を改善するお茶としても飲まれてきました。なにより授乳中のお母さんにとっては母乳の出が良くなるうえ、母乳を通して赤ちゃんの駆風に役立ち、むずかりを鎮めるお茶として有名です。

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ヨーロッパからエジプト、トルコと経てインドに伝わったフェネル、カレーに欠かせないスパイスになりました。それだけでなく食後に消化や口臭消しになるソーンフ(ヒンズー語でフェネルの意味)と呼ばれる清涼剤として身近なアイテムになっています。家庭でも氷砂糖と一緒に食後のテーブルに並べられるのは、同量を一緒に口にいれると唾液が出やすくなってフェネルを食べやすくする為です。今では一粒一粒に砂糖やミント味がコーティングされたカラフルなソーンフが売られています。インド料理屋さんではかわいい小皿や容器でテーブルやキャッシャーの横に置かれ、インド系航空会社の飛行機に乗ると「アフターミント」と書かれた小さな紙袋に入ったソーンフが配られます。まるで日本の仁丹のように。ちなみにMukhwasムクワスと呼ばれている清涼剤は、中身がフェネルだけでなくアニスやゴマにコーティングがされているものです。

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さてインドから中国を経て平安時代の日本に既に伝わっていたのです。そしてさらにさらに、驚くべき日本独自の文化の中で花開いていたのです…このお話はまたいつかのお楽しみに。

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窓ガラスのあたる銀色の雨粒が仁丹に見える今日、予定が何もないので古くなった針刺しでも作り直してみます。フェネルシードのオイルには金属の酸化を防ぐ作用もあることから、ヨーロッパでは古くから針刺しに使われていました。綿を細かくちぎって毛綿の状態にしフェネルと混ぜて詰めるだけ。ソーイングボックスを開けるとフェネルの甘い香り、なかなかいい感じだと思います。