人生の節目とローズマリー

ローズマリー

街中が眩しく光る緑一色になってきました。清々しい季節ですが新芽のパワーは思いのほか強いものです。時としてそのエネルギーに負けて調子を崩してしまうことも少なくありません。心や体が疲れている時は要注意。今日は気分を上げてシャキッと元気なあなたを取り戻せるようにエンハンスを淹れましょう。その間にエンハンスにも入っているローズマリーにまつわるお話でもいたしましょう。

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ローズマリー(Rosmarinus officinalis )はスペイン、チュニジア、モロッコ、南フランスなど地中海沿岸を原産とするシソ科の植物です。そびえたつ崖など厳しい環境の中でもよく育つ丈夫な植物でその昔、長い航海から帰って来た船乗りたちはローズマリーの香りで地中海に戻ったことを知ったといわしめたほどだったとか。針葉樹を思わせる葉を茂らせる常緑の低木は5~6月に青いちいさな花をつけます。学名はラテン語の海の(marinus)しずく(Ros)を意味し、波しぶきのかかる海辺に多く咲いていたことにちなんでいるとも、青い海を思わせる滴の様に愛らしい花の様子からともいわれています。

キリスト教が広まりつつあったヨーロッパでは、 “迫害から逃れエジプトへ向かうマリアは、白い花の咲くローズマリーの茂みにイエスを隠し、上に自らの青いマントを覆って難を逃れた。すると白かったローズマリーの花は一夜にしてブルーに変わった” というエピソードから、ローズマリーは「聖母マリアのバラ」(ローズ・オブ・マリア)とする説が広まりました。これは布教を目論んで無理やりつくられた説なのでしょう。そしてローズマリーはイエス・キリストの背丈よりも成長をすることはない、ローズマリーの木はイエス・キリストが没した年齢と同じ33年経つと枯れてしまうなどという伝説も然り…。現在花の色は、白、水色、青、紫、種によって様々あります。

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キッチンハーブとしての歴史は古く、およそ紀元前1600年頃に粘土板に楔形文字で書かれた古代メソポタミア最古のレシピ(世界最古の料理本)によるとクミン、コリアンダー、フェンネル、ミント、タイムなどと共に使われています。動物と人間の一番大きな違いは火うこと。人類は古代より鳥獣の肉と野菜の煮込み料理を食してていたようです。この粘土板は「バビロニア文書集」の一部で、古代メソポタミアの台所設備、食材、手順、祭りで捧げられた料理、王の食事の準備などが事細かく解説しています。ここに書かれている古代メソポタミア料理(イラク料理)が現在食されている中近東・地中海料理にあまり形を変えることなく伝承されている事実に驚きました。楔形文字はフランス人学者ジャン ボテロによって解読されてLa plus vieille cuisine du monde(Jean Bottéro 2002)が出版されていますが、英語版The Oldest Cuisine in the world (2004)はもとより日本語訳(『最古の料理』りぶらりあ選書 松島英子訳(2003)法政大学出版)も出ていますので是非。食と宗教との概念が日本人の我々に通じるところもあり、また文明の高さとは食文化の豊かさである、と納得してしまった一冊です。ローズマリーは野菜や魚、肉、チーズやパン、何と調理してもワンランク上の味に仕上げてくれるハーブです。ただのポテトもオリーブオイルとローズマリーの葉をパラパラ振って焼くだけでレストランのような香りが漂います。

また古代からローズマリーは風味を高めるスパイスとしてだけでなく、肉や魚の保存料として効果があることも知られていたようです。ローズマリーは高い抗酸化力で脂肪の変質を抑えて脂臭さを消す効果、食物の腐敗や細菌の発育を阻害、殺菌作用すらあるのです。同時に弱った胃腸を助けて食欲不振を改善したり、消化液の分泌や栄養の吸収を活発にする働きがありますので、食材として食すのはとても理に適っています。オイルやワインに漬けて使うのも伝統的な使い方です。

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薬としては古代ギリシャの時代から頭や心、心臓を活性させる薬、気付け薬として知られるハーブです。森林の香りのような鮮烈な香りは脳を刺激し記憶力を向上させると評判で、紀元前4世紀、プラトンがアテナイに創設した学校(アカデメイヤと呼ばれる)では、学生たちが記憶力や集中力を高める為にローズマリーの枝を枕の下に入れて寝たり、輪に編んで頭に被ったり、髪に編みこんで試験に臨んだというエピソードもあります。勉強の効率アップだけでなく頭痛や鬱にも利用されてきました、さらに最新の研究では脳の老化に効果的といわれています。ローズマリーの香成分の多くに抗酸化作用(活性酸素から細胞を守る働き)があり、特に揮発成分の1つカルノシン酸には認知症やアルツハイマー、パーキンソン病など、脳神経の細胞死に関連する病気の予防や治療に期待されています。

このようにローズマリーといえば “頭のハーブ” なのですが、それは中身に働くだけではないのです。ローズマリーのオイルは塗布剤や湿布薬として脱毛症や頭痛、神経痛や筋肉痛、通風の痛みの緩和に使われてきました。現在も市販のシャンプーやリンス、頭皮ケアの製品の多くに使われています。

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花言葉は効能やその清浄感のある香りに由来するのでしょう、記憶、思い出、いつまでも忘れない、永遠の愛、追憶、純潔、誠実、貞操など、多くの習慣にも繋がっています。

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古代よりその香りには病や不幸をもたらす悪魔祓いをする力があると考えられ、教会や家の垣根に使われたり門や扉に飾られました。宗教儀式では神々に捧げる薫香としてローズマリーの小枝が焚かれていました。その流れを踏襲するヨーロッパでは結婚式とお葬式といった人生の節目に欠かせない聖なる枝になっています。

例えば結婚式。ローズマリーは魔除けとしての意味合いだけでなく純潔や貞操、永遠の愛の象徴とされてきました。結婚式の朝に花嫁側からローズマリーの花束を花婿に届けたり、花嫁のブーケや髪に挿したり、花嫁花婿にローズマリーを編んだティアラ を頭に載せる風習も残っていて、その枝を新居の庭に挿して立派に根付くと幸せになれる、という言い伝えもあります。またヨーロッパでは結婚式の招待客にも幸せのお裾わけとしてローズマリーの小枝を持ち帰ってもらう習慣があります。かつて招待された結婚式では、各テーブルのナフキンにローズマリーの小枝が添えてありました。これは持って帰って挿し木にするべき引き出物だったのですね。

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そしてお葬式。紀元前十数世紀のエジプトのファラオの墓から副葬品としてローズマリーの小枝が発掘されています。死体を永く保存する、また死者が生者を連れていくのを守るといった神秘的な力を持つと信じられていたようです。今でもローズマリーの小枝をブローチのように胸に挿して葬儀のミサに参列するお年寄りの姿をよく目にします。これは会葬者が故人の想い出をいつまでも心に留めて置く、いつまでも忘れませんという意味合いがあるそうで、こちらも花言葉にもなっている追憶、記憶、思い出の象徴。古代ローマ時代、戦死した兵士の恋人が“あなたとの思い出を忘れない”と、ローズマリーを植えたそうです。1950年11月2日に没したイギリス近代演劇の立役者バーナード・ショーは「ローズマリーを自分の棺に入れるように」と遺言状に書いたことで有名です。演劇といえばもちろんあのハーブ好きなシェイクスピアの演劇作品にもローズマリーは度々登場します。またの機会にご紹介いたしましょう。

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話は脱線しますが、欧米では死者を埋葬する際に瞼の上にコインを載せるというギリシャ時代から続く風習があります。(瞼ではなく口の中に入れる地域もあるようです)小説『怒りのブドウ』(原題The Grapes of Wrath, J.スタインベック1939)でもトムのお爺さんが旅の途中で死んだ時、お母さんが50セント銀貨を瞼に載せてあげる場面が描かれています。映画『トロイ』(2004アメリカ)や『フロム・ヘル』(2001アメリカ)でも同様のシーンがありますが、『処刑人』(1999アメリカ) のマクマナス兄弟、瞼にねじ込むのはやりすぎです。

この風習はギリシャ神話に由来するものでした。まず死者の魂は冥界の入り口にある憎悪の河ステュクス(または嘆きの河アケロン)を渡るため、渡し守のカロンに払う渡し賃がなければ魂は川岸をさまようことになる、というのです。ダンテの『神曲』にはカロンが死者を船に乗せ地獄へ連れていく様子が描かれていますが、西洋にも「三途の川」と「六文銭」があったとは驚きです。小泉八雲は日本の古代の信仰は古代ギリシャの信仰と似ていると言っていますが、死後の世界についても似たような発想をするものなのですね。

ではなぜ瞼に載せるのか、イングランド出身のお婆ちゃまに聞いてみました。これは生者を羨ましがってとり憑ついたり、道連れを探したりしないよう、二度と目を開かず安らかにあちらへ行ってほしい、という死者への畏怖の念から置くのだそうです。

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いささか忌諱に触れるお話になってしまいましたので、お口直しにローズマリー繋がりのノスタルジックなスローバラード、ローズマリー クルーニーが歌う“I’ll never forget you(1951)”でも聞きながら、ゆっくりとお茶にいたしましょう。