下積長子さん、ついにブレイク

さて アジサイのお話の続きにお付き合いくだい。アジサイは日本生まれの花でありながら、なぜつい最近になるまでなかなか人気が出なかったのか?そして今やアジサイがおしゃれな花として人気のスターになったお話しでもいたしましょう。

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アジサイが人気者になれなかった要因はどんなところにあったのでしょう。そこには3つの鍵がありました。

1つ目は10世紀初頭、昌住という僧侶が編纂した『新撰字鏡(しんせんじきょう)』という日本最古の漢和辞典があります。そこは“草冠に便”と書いて「」なる文字が載っており、意味は「安知佐井」「止毛久佐」と記されています。安知佐井つまりアジサイ、では止毛久佐とは何でしょう?ヒントは室町前期に今川了俊というがまとめた『言塵集』という和歌の参考書的な本に「あぢさゐ 別名またぶりぐさ」と!そう、またぶりぐさは股拭り草、止毛久佐はシモクサと読むのでしょう。いくら別の説があろうとこの文字の並びはどう見てもトイレットペーパーですね…なにしろ草冠に便ですもの。

尾籠ついでの余談です。明治4年に日本で郵便制度がはじまると、簡単な木箱に脚をつけて高くした初代のポスト「書状集め箱」が東京12カ所、京都5カ所、大阪に8カ所、東海道の街道筋に62カ所設置され、翌年には全国に設置されることとなります。次世代ポストは黒塗りの大型の木箱に白い文字で大きく「郵便箱」と書かれました。折しも1872年、ちょうど公衆トイレも設置が開始され、おおざとががついた「垂」の文字+「便」の字が続いていたことが災いしてトラブルが多発したのだとか。便の字はどうしてもそちらが連想されがちです。

「籌木」なる木片でお尻の始末をしていた古代から江戸時代、いや山間部や島部では20世紀になるまで、植物の葉も同じ目的で使用されていました。その葉の条件、比較的どこでも大量に入手可能、葉が大きく、干しておくと柔らかくなる、アジサイの葉も重宝されたことは想像に難くないです(「蕗」の語源も「拭き」という説あり)。日本では平安時代から紙を使う文化はありましたが貴重品の紙が庶民に行き渡るのは、浅草紙(江戸)西洞院紙(京都)湊紙(大阪)といったエコな「落とし紙」が流通する18世紀半ば以降です。絵画や庭園にアジサイが多く見られるようになった時期と重なります。それまではアジサイの花を見ても「あ〜あれに使う葉っぱの花ね」が邪魔をして、愛でるには至らなかったのでしょうか。不憫です。

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2つ目は、アジサイは室町時代の頃から仏の供花とされていました。かつて湿気や気温が高くなる梅雨時期には悪い病が流行りやすく、亡くなる人も多かった日本。死者を悼む花として季節の花アジサイが手向けられ、お寺の庭には弔いの意味を込めて多く植えられたそうな。特に疫病が発生した地域では株が増えていきました。それが仇となり、病気を呼び込む縁起の悪い花とされて家の庭に植えることを忌み嫌った家も多くあったそうな。鬱蒼とした庭の薄暗さ、梅雨時期の暗鬱な空気、線香の香り、お寺のアジサイはこんな気配もDNAに取り込んでいたのか、陰気なムードを感じさせる花だったのです。不憫です。

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3つ目、平和な江戸時代の日本では世界でも類を見ないほど園芸文化が花開いていました。特に将軍の花好きに倣って、江戸の町には日本中の植物が集まってきて、殿様から豪商の旦那衆、武士から町民まで、膨大な量の植木鉢を並べて時間と手間を惜しまず葉や花の形や斑の入り方・色などが他に類をみない奇品を育てることに熱中しました。蘭、椿、蓮、南天など様々な植物が対象にされましたが、代表格は花菖蒲・朝顔・菊が江戸園芸三花と言われています。そんな園芸ブームの中でも、陰気なイメージがあり、丈夫で容易に繁殖するアジサイには誰も価値を見出さなかったのです。不憫です。

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こうして不遇の時代を乗り越え、戦後になって昭和の高度成長時代ともに観光ブームが訪れると、原産国である日本でも遂に本格的に人気が出てきました。上記のような事情からアジサイを植えたお寺は各地に多くあり、鬱蒼とした半日陰でもしっかりと育つ上、さらに丈夫で根つきの良いアジサイは斜面の土留めや垣根にも多く利用されてきました。開花を迎えると群生したアジサイが一面埋め尽くして咲く絶景が観光雑誌で紹介されると アジサイは重要な観光資源として一気に注目を集めます。真っ先に話題になった北鎌倉の明月院を皮切りに、全国でこぞって株を増やしたお寺が「あじさい寺」を名乗り、次々と名所ができ「アジサイロード」や「アジサイ列車」などを目当てに観光客が押し寄せ大人気になります。もうアジサイからおシモの紙や病死を連想する時代ではなくなったのです!こうしてアジサイは愛でられる花となり、昭和歌謡から平成、令和のJ-po界でも数多く歌われているのです。

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現在でもアジサイの花をお守りとしてトイレや玄関に吊るす風習が各地に残っています。アジサイの花の形が平安時代から魔除けのために吊るされる薬(くす)玉に似ていることも由来するようで、いろいろな方法やご利益があるようです。そのひとつに、アジサイの歴史全てが詰まったようなお守りを見つけましたのでご紹介します。アジサイが満開の時期(特に6月の6がつく日がよし)花を一朶(いちだ、アジサイのように小さい花が集まって咲く花の数え方だそうな)紙と紐で(できれば半紙と水引がよし)ブーケ状にし、トイレに逆さに吊るしておくと、生涯お下の世話にならないというお守りです。1年間吊るしたアジサイは感謝を込めて海や川へ流し(お清めの塩と共に新しい半紙で包み燃えるゴミにだしても可)その年に咲いたアジサイを新たに吊るしてまた一年。吊るしたまま放置ておくだけで、色は薄く変化しますが姿は原型をよく留め素敵なドライフラワー状になります。悲しい枯死した姿を見せる他の花との大きな違いです。超長寿時代の切実な願い、ご利益を信じて今年から試してみてはいかがでしょう。

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かつて見た映画『ベニスに死す』(1971年・イタリア)で、溢れんばかりのアジサイが華やかに飾られたホテルの場面がとても印象的でした。最近の日本でもアジサイの花はレストランやカフェ、ホテル、もちろん一般家庭の室内や庭をセンス良く飾っています。ガクアジサイも派手やかな手毬咲きともまた異なり、他の花との相性もよく素敵です。もうネガティブな面影はどこにもありません。古代から姿形がそれほど変わったわけではなく、ただ見る人間が持つイメージが変わっただけなのです。今日の主役はまるで下積みの長かった演歌歌手のような「アジサイさん」でしたが、今や大御所スターになれてほんとうによかったです。

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最後にちょっと冠婚葬祭豆知識。

弔事編:色も青や白い花なら派手すぎず、棘も匂いも花粉もなく弔事に最適そうに見えますが、毒があるので供花や仏花に使用するのは避けた方が無難のようです。もちろん故人やご遺族がお好きなことをご存知の場合は構わないそうです。

慶事編:ボリュームをだして豪華にするもよし、清楚で可愛いイメージにするのもよし、様々な飾り方ができて種類が豊富なアジサイは花嫁さんのブーケから髪飾り、教会や披露宴会場の飾りつけにもぴったりです。花言葉も「元気な女性」「寛容」「家族団欒」などブライダルにはピッタリです。ただし、平安時代から続く「移り気」や「不実」のイメージを気にする方もいますので、参加者がアジサイを身につけて行くのは避けたほうが無難のようです。

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こんな梅雨空の今日は、アジサイの葉にアルミホイルを巻いた理科の時間をぼんやり思い出します。さ、冷房が効いた静かな図書館に出かけてみませんか。ぜひ、アジサイ研究の第一人者、日本アジサイ協会初代会長の山本武臣氏の著書『あじさいになった男』(コスモヒルズ,1997) 見つけてみて下さい。アジサイのことがもっと好きになりそうです。