ゾンビと天使と曼陀羅華

暑い日が続くと大人ももちろん、赤ちゃんだってなんだかグズグズしてしまいがちです。そんな日は赤ちゃん(月齢6か月以上)からお年寄りまで飲めるコリッキーを淹れましょう。優しい味で消化器と神経を宥めてくれます。冷たくして召し上りますか?ではお茶の用意ができるまで、夏といえばホラー、夏のホラー映画の定番、ゾンビに関わる毒のある植物のお話を致しましょう。

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墓場から次々と這いだしてくるゾンビ、硬直した手足はぎこちなく、皮膚は剥がれ落ち、膨れ上がった体から内臓を引きずり、骨が見える袖口からボトボト腐肉を落としながら、ずるりずるりと生物の肉を求めて近づいてくる…襲われてしまえばあなたもまたゾンビに・・・ゾンビの発祥はハイチのゾンビ伝説にあります。そこには悲しい奴隷の歴史が隠されていました。

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15世紀末、コロンブスが中南米の島を発見して以降スペイン人による侵略が次々進み、ハイチの先住民は殺戮や強制労働、また欧州から持ちこまれた病気によって全滅してしまいます。次の労働者とされたのが西アフリカから買い受けた大量の奴隷で、彼らは祖国土着の精霊信仰であるブードゥ教を心の拠り所にしていました。ブードゥ教は動物も人間も死が訪れれば悪い精霊かよい精霊になり、その精霊を生活の中で崇拝する教えでした。死体が蘇り動き回る「ゾンビの呪術」は本来、極悪非道を行った人間は死んでもなお蘇らせて永久に働かせる、死後の休息を永遠に与えない最重量刑として秩序を護る為に編み出された罰だったのでした。奴隷が信仰するブードゥ教の儀式を目の当たりにした白人はその不気味さに恐怖を感じ「邪教」として弾圧や改宗を強要しました。しかしブードゥ教の伝承はキリスト教など他の宗教や、各地の文化と融合しながら独特の信仰に変貌しつつ周辺各国に広まっていきました。

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奴隷制度の中で「ゾンビ」は様々に利用されました。「ゾンビにしてやる」という脅し文句は奴隷の管理に効果的、実際に薬を使って意思や人格を奪ったゾンビは思い通りに酷使できる、犯罪の身代わりにできる、付加価値のついた奴隷として高値で売れたのだとか。

サトウキビで富をもたらすハイチは独立しても次々と列強の支配を受ける為に政情はいつも不安定、自然災害が多い地であるため経済的にもいつも不安定でした。貧困から脱却できない黒人が暴動を起こすのではないか、と常に警戒していたアメリカは、黒人の連帯や組織化の核となっていたブードゥ教に恐怖を感じていた事は想像に難くありません。20世紀半ばからその怖れを抑え込むかのように、ゾンビを醜悪で面白おかしいく描くホラー映画が作られていきました。

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1980年代にゾンビを研究した人類学者で植物学者、ウェイド・デイビスが発表した『蛇と虹』(草思社1988)で「フグやカエルなど動物の毒で仮死状態にし周囲には死んだように見せかけ、体が復活したら精神作用のある植物毒で意識を混濁させて作った奴隷(囚人)がゾンビの正体」という説が有名になりました。仮死状態を作る動物毒には矛盾無理があるようなのですが、人間性や意思を喪失させる神経性植物毒として使われたとされるブルグマンシア、またはダチュラには信憑性があります。

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ブルグマンシアもダチュラもユリのような大振り花を咲かせるナス科の植物です。園芸種として両種の名前が混同されがちですが、下向きの花を咲かせる木立性のものがブルグマンシア、上向きの花を咲かせる一年草がダチュラ、と区別します。花の美しさとは裏腹に神経に作用して妄想、幻覚をおこさせ、思考能力の破壊、人間性の喪失、瞳孔拡大・頻脈・精神錯乱・意識障害を起こして死に至らしめるアルカロイドを含む恐ろしい有毒植物です。

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ブルグマンシア(Brugmansia versicolor)は低~中木の 南米の亜熱帯地域原産です。現在は世界中に広まっていて、日本でも春から秋まで次々と美しい花を咲かせる壮麗な姿が庭木として人気があり、全国各地の住宅地に普通にみられます。日本名「木立朝鮮朝顔」や別名「エンジェルトランペット」と聞けば、皆様ご存知かと思います。花は白、ピンク、オレンジなど様々な色があり、クラっとするような甘い芳香を放ちます。夜開く花といわれ、夜目遠目でみてもくっきりと光り輝くように咲くエンジェルトランペットは、酔わされるように妖しくも美しい花です。

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くらくらするのもそのはず、葉、枝、幹、根、実、花、全ての部位に強力な毒を有しています。中世ヨーロッパでは魔女がサバト(悪魔崇拝の集会)に出掛ける日、ダチュラを燃やした煙を浴びて幻覚に耽った、という伝説になるほどの麻薬成分があるのです。

さまざまな違法、脱法麻薬が蔓延する現代でも、この毒を生成して作られる合成麻薬ほど凶悪なものはないといわれています。毒成分をしみ込ませた紙に触れただけで体内に吸収され、自制心や思考力を失って命令されるがままに行動し、記憶も残らない、という強烈な作用は犯罪に悪用されているケースも多いのだとか。この麻薬には「悪魔の吐息」「地獄への落とし穴」または「悪魔のトランペット」という別名もあるそうで…天使のトランペットが泣いています。

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こんな危険なエンジェルトランペットはとても身近な庭木ですが、命に係わる事故にもつながります。毒の力を知らなかったケースも、知っていて悪戯半分に使ってみるケースもあります。

花の下で小さな子供を遊ばせたり昼寝をさせないこと、枝で焚火はしないこと、葉や根を誤って口にしないこと、樹液を傷口や目に触れないこと、葉や花や枝を触った手や、剪定に使ったハサミは良く洗うこと…などなど十分注意をして下さい。

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もう一種がダチュラです。ダチュラ属の白花洋種朝鮮朝顔Datula Stramonium、毛朝鮮朝顔 (Datura Inoxia)長らくインド原産と考えられてきた朝鮮朝顔(Datura metel)など、全ての種類が中南米から北米原産と解明されました。朝鮮朝顔は4世紀頃までにはアメリカ大陸から南アジアに伝わり、現在は地球上の温帯から熱帯地域で自生または栽培されています。

学名のmetelはアラビア語で「麻薬性」を意味する mathelに 由来です。その麻薬性の効果からでしょうか、古代インドの性愛経典「カーマスートラ」(推定でおよそ4世紀から5世紀成立)では、サンスクリット語のdhattUra umattaという名前で「陶酔の媚薬」として記されています。ちなみにこのインド哲学にも通じるヒンズー教の経典は、至って真面目に性愛の重要性と技巧の研究を説いたものだそうで、現在では翻訳本のほかDVD(もちろん⑱禁)も出ています。ちなみに江戸時代の春画で有名な「四十八手」はこの経典がお手本なのだとか。また、10世紀ペルシャの医学者イブン・スィーナーの「医学典範」には、アラビア語で「麻薬性のクルミ」という名前で痛み止めに処方されています。

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見目麗しく香り芳しいダチュラがインドから中国に伝わった時、「これが仏教の経典の中で仏様が出現する時、マンジューシャカmajūṣaka と共に天から降り注いだ花マンダーラバ mandā ravaに違いない」という思い込みからマンダラゲ『曼陀羅華』になりました。字面も語感もヤンキーテイストを感じさせますが、まさにサンスクリット語を音写変換した当て字だからです。天から降った華については蓮だのデイゴだのヒガンバナだの、と諸説伝わっていますが、そこは経典に出てくる天界の華、つまり空想上の華ですから…。 しかし何の因果か一緒に降ったというもう一つの花、曼珠沙華(マンジュシャゲに)も曼陀羅華と同じ猛毒成分が含まれています。

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日本には17世紀(室町末期あるいは江戸初期)に漢方薬「曼陀羅華=マンダラゲ」として中国から伝わります。明代の医学書『本草綱目』に「患部を切開する時に曼陀羅華を熱酒に混ぜて服用させれば痛みを軽減する」とあるように、日本でも鎮痛や喘息の鎮痙剤として使われました。また同時に園芸種としては「朝鮮朝顔」の名で、1672年の狩野常信による「草花魚貝虫類写生図鑑16巻」に緻密な写生図が丁寧に描かれています。朝顔という名前がついていますが花の形が似ていただけで、ヒルガオ科の朝顔とは全く別の植物です。また「朝鮮」とついていますが朝鮮の植物ということでもなく、当時の舶来品はなんでも「朝鮮○○」「南蛮△△」「唐♢♢」というように大雑把に名前が付けられていました。

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江戸時代から身近な場所で栽培されていたようで、根や蕾や実の誤食による事故が多々記録されています。ぼーっと呆けてしまったり、狂ったように暴れたり、一晩中寝ずに走り回ったりという異常な行動を起こすことからキチガイナスビとも呼ばれました。意識がもどっても記憶が無かったり、そのまま死に至ることが多かったようです。現在はあまり栽培されていませんが、草地に自生している場合もあるので注意が必要です。

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鎮痛剤としての「曼陀羅華」は1804年に華岡青洲が世界初の全身麻酔手術を成功させた麻酔薬「通仙散」の主成分として有名になり、現在も麻酔薬の象徴として「日本麻酔科学会」のロゴマークにデザインされています。「通仙痛」には数種類の薬草が配合されていますが、危険性を十分承知していた青洲は配合を秘伝にしました。有吉佐和子の華岡青洲の妻(1966年 新潮社)はあくまで小説、全てが史実ではありませんが、麻酔薬完成に至るまでの犠牲や苦労を窺い知ることが出来ます。彼の偉業は150年後の1954年に国際外科学会で報告され、日本人として初めて開催地シカゴの外科学会栄誉館(Hall of Fame)に資料が展示された研究者なのです。曼陀羅華の凛とした美しい姿は華岡青洲とともに「第100回日本外科学会総会」(平成12年)の記念切手に描かれています。

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20世紀末になると、ダチュラの名はは村上龍の小説「コインロッカーベイビーズ」(1980年講談社)で有名になります。筆者の頭にも、何十年たっても嫌悪感と共に「ダチュラ」という名前が頭に残っています。人間の精神を崩壊させるダチュラはその後さまざまな小説でも犯罪に絡んで登場しますが、現実の世界でも最凶の麻薬として犯罪集団に使われたり、日本でも20世紀末のカルト教団が信者への洗脳や自白に使用したとか、監禁事件で被害者を洗脳するため食事に入れたとか、完全に邪悪な植物になっています。貴重な薬草なのに情けない…と華岡先生も草葉の陰で泣いておられることでしょう。

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もしゾンビに出会ってしまったら噛みつかれる前に「塩」をぶつければ助かる、そうです。ハイチには「塩」の入ったスープを飲んだゾンビたちが張り裂けるような叫び声をあげながら墓地に辿り着くや否や消滅した・・・という都市伝説が実しやかに伝わっています。しかしゾンビを作りだしたのも世界規模の「富と支配」の醜い欲望に駆られた人間、自ら薬物で人間性を失って罪を犯したりするのも生きた人間。やはり本当に怖いのはバケモノよりバカモノなのです。

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寝苦しい夏の夜はホラー映画を楽しむもよし、先出の『カーマスートラ』の翻訳書や実践DVD(⑱禁)で性の奥義、いやいやインド哲学を探求するもよし…どちらも趣味に合わないという方には、素敵な音楽を。

『曼陀羅の華』という交響(詩)曲ご存知ですか?これ『赤とんぼ』『待ちぼうけ』『からたちの花』といった多くの童謡で知られる山田耕筰の作品です。日本初の交響曲『勝鬨と平和』の翌年に発表された『曼陀羅の華』、西洋音楽を日本に受け入れた先駆者よる耳心地の良い交響曲は、真夏の暑い夜に天界の花の香りを思わせてくれるかも知れません。