ウエディングケーキと焼酎?

アニス

新しい年が始まり、これから本格的な寒波がやって来るのでしょうか…寒い日はノンカフェインのチャイティーを一杯いかがでしょう。抗酸化成分たっぷり、また体を温めるためたり、ついつい食べ過ぎが続いて弱った消化力も助けます。ではじっくり煮出してお淹れしますので、少々お待ちいただく間にコージーに含まれる小粒のアニシードのお話をしましょう。

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アニシードはセリ科の一年草アニス(学名Pimpinella anisum和名は西洋茴香(ウイキョウ))の種です。小さな白い花が愛らしく、灰緑色をした三日月形の一対の果実を付けます。シード(種)といっていますが、植物学上は種ではなく果実なのだそうです。ラテン語の属名は葉の形から1対の羽を意味します。

アニスの甘い芳香は様々なハーブやワイン、香水の香りを語る時に「アニスの様な香り」と表現されるほど特徴的です。香は主成分はアネトールの香りなので、同じ成分を持つフェンネルシード(ウイキョウ)、リコリス(カンゾウ)スターアニス(八角)などは似た香りがします。特に似ているスターアニス(八角)中国原産、シキミ科で、植物学上の類縁関係は全くありません。

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アニスはエジプト原産で、シナモンが輸入される紀元前4000年ころまでクミン、マジョラムと共にミイラの防腐保存剤として最も重要な役割をもっていました。古代のエジプト人は死者は必ず復活する、魂は肉体がないと復活できないと信じていたので死体を保存する必要があったのです。

紀元前3000年ころからエジプトやギリシャのクレタ島で作物としての栽培が始まっていました。消化を助ける作用が広く知られおりパンに入れて焼かれていました。紀元前5世紀のギリシャの数学者ピタゴラスもアニシードのパンが大好きだったと書き残しています。古代インドでも同様の使われ方をしていて、特にベンガル料理(東インド)のパンには必ずフェネルと共にアニスを入れる風習が根付いている様です。

同時期、ヒポクラテスはアニスの薬効について、消化作用のほかにも去痰と殺菌作用に優れているので気管支炎、喘息や咳止めの薬に処方していました。その流れからか中東やヨーロッパには今でもアニス味のマウスウォッシュや歯磨き粉、咳止めのトローチなどが多くあります。

古代ローマ時代、アニスはトスカーナ地方で盛んに栽培され、薬やスパイスとして使われていました。特に消化とブレスケアの目的で食後に数粒噛むのが流行りました。今でも食後にピルケースからアニシシードを数粒取り出したりすると、ガムやフリスクや仁丹よりお洒落かもしれませんね。

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このアニシードのエピソードに欠かせないのが紀元前2世紀のローマ共和国の監察官だったカトー(加藤さんじゃなくCato)です。農民出身でありながら質実剛健な軍人から清廉潔白な政治家と昇りつめた人で「農業論」を著わしました。この中で農園経営のための助言から,農作業の実務,農村生活のコツなどが記されているのですが、実はローマ初の「レシピ本」とも言われるほど多くの料理レシピがかかれているのです。料理研究家でもない男がなぜ料理のレシピを書いたのか?

当時ローマ帝国は領土をどんどん広げていきます。他国との闘いはもちろん内戦も多く国防費で財政は厳しくなり共和制も揺らぎ始めていました。そんな中にあっても、貴族や軍の高官たちは東洋から高価なスパイス(シナモン、クローブ、カルダモンなど)や砂糖を盛んに輸入し贅沢を貪り、東洋風の華美な衣装や宴会に酔いしれます。そこで彼は贅沢禁止令を出して浪費を規制します。同時に、輸入品ばかりが高値で取引されることへの反発を抑えるために国産スパイスの使用を奨励したのです。そのためのレシピの1つが Mustaceum、Must Cakeと呼ばれるスパイスを用いた1種のワインケーキがあります。このMustとは「~せねばならない」の助動詞ではなく、 ぶどうの果肉を潰した果汁や皮や種で発酵前のワインの素といえるものです。

ちなみにマスタードのマストもこれ。本物のマスタードと呼ばれるものはカラシナの種と絞りたてのマストを混ぜて作られたものを指します。

そのマストケーキのレシピは、

小麦粉をマストで煉り伸ばし、アニシード、クミンシード、ラード(豚の脂)、チーズ(おそらく若い動物の胃の内膜を使って固めた原始的なチーズ)に月桂樹の樹皮を混ぜケーキ型に入れ、月桂樹の葉を敷いた上で焼く

というものです。カトーさんは、贅沢な東洋産のスパイスを使わなくても身近に手に入るアニスやクミンで充分おいしいケーキが焼ける、そして闘いの遠征先で酵母菌が枯渇してもマストの発酵で十分ケーキは膨らませられるし、砂糖を使わなくてもマストだけで十分な甘味が出ることを示したのです。

その後、この消化も助けるマストケーキは重い食事、宴会の最後に供され大流行し、ローマの風習となりました。これが現在のウェディングケーキの起源であるといわれています。

アニシードはローマ軍が薬として、またスパイスとして携帯して遠征した事と、ローマ帝国解体後に興隆したフランク王国のカール大帝(742~814)が遠征を再び始め、征服した各地に 教会や修道院を建てて、その中で薬草の栽培を奨励た事、この二つがヨーロッパ全域にアニスの知名度を高めました。

パンやクッキー、キャンディ、スープ,ソース,菓子,チーズの香味、石鹸や化粧品などに使われるスパイスとして、また子供の嗜好にも合うため薬を飲みやすくする香味料にも使われていましたし、スカンジナビア地方では今でも生葉がサラダの付け合わせや色どりに食されます。

 

現在の日本でも輸入食品店の棚にフランス製のアニスキャンディFlavigny(フラヴィニー)を見つけることが出来ます。楕円形のお洒落れな缶を見かけたら、是非中世の味を味わってみてください。

このカール大帝は修道院薬草治療を語るうえでのキーパーソン、現在手に入るハーブ伝承の立役者、つまりここHortulusにとっては忘れてはならない大事な人です。この人のお話はまたいつか。

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時は下り1305年、イギリス国王エドワードⅠ世はテムズ川に架かるロンドン橋の改修費用を捻出するために、ロンドン橋を通って運ばれるアニスに特別税をかけました。というのも、カール大帝のおかげで栽培が始まったとはいえ、修道院の薬草園の中だけで栽培されていたアニスは門外不出の薬草、ヨーロッパから輸入される贅沢な嗜好品だったため、庶民の反発を招かない絶好の課税対象となったのです。その税のおかげでロンドン橋は無事改修されました。贅沢品から税を徴収してインフラ整備、なかなか上手いやり方です。

15~16世紀になってやっとイギリス国内の一般家庭でもアニスが栽培できるようになり、身近な薬草、身近なスパイスとして定着していきました。

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現在アニスはガーデニング界において、アブラムシやアオムシを寄せ付けないだけでなく、ハチを誘って繁殖を助る優秀なコンパニオン・プランツとして知られています。

この甘い香りは動物にも好まれるため、ペットフードや家畜の飼料、ねずみ捕りの餌にも使われます。特に犬はアニスの香りを好むので(猫はキャットニップ)猟犬の訓練に利用すると効果が高いそうです。

釣り人にも朗報。魚もアニスの香りを好むそうで、撒き餌や餌、ルアーに付けるだけでなく アニシードの香りの釣り人用のウエットテッシュも市販されている様で、これを使うと手や道具の魚臭が取るだけでなく、成分が道具に付着して釣果が上がるとか。釣り好きはお試しあれ。

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さてさて切っても切れないのがアニスとお酒です。まずは紀元前6000年頃から作られていたとされるワインですが、古代ローマ人はワインにアニスをいれると呪いから身を守るおまじないになるとか、若返り効果(催淫、強精作用)があると信じて飲んだり、悪い夢を追い払うことができると、枕に振りかけていたそうです。

そして紀元前800年ころから、エジプトで作られはじめていたという世界最古の蒸留酒が「アラック」です 。起源は香水を作る為に作られた蒸留装置(アランビック)を使ってデーツ(ナツメヤシ)の汁から作られたお酒です。これが世界中のの蒸留酒、リキュールの始祖です。このアラックの特徴的な風味に欠かせなかったのがアニシードです。

先ほど登場したカール大帝の時代や、その後のオスマン帝国の隆盛で領土の拡大は様々な文化の伝播と融合をもたらしました。蒸留酒文化もアラックによっては中近東からヨーロッパ、アジアへと広まりながら、原料はデーツからブドウ、ヤシ、小麦やサトウキビ、雑穀、米・・・と様々に変遷しながら各地で独自のお酒を作りだしていきました。、イタリアのザンブカ アネソネ、スペインのオジェンギリシャのツィプロやウゾー、バルカン半島諸国のラキア、トルコのラク、フランスのアニセットやパスティスといったアラックの血を引くリキュールが出来ました。フランスのあの禁断の酒「アブサン」もアニスで甘い誘惑の香りを出しています。

そしてシルクロードを辿ってインドやネパールでロキシー、タイ(シャム王国)でラオロン、ベトナムでルアモイといったお酒が生まれ、インドネシアではオリジナルとはちょっと異なる風味をもつものの、「アラック」の名前そのままのリキュールが有名です。

徐々にアニシードの香り付けはなくなり、ウイスキーやブランデー、ウオッカやラム、テキーラなどと同様に単に蒸留酒の伝播となってしまうのではたして「アラック」の子孫といえるかどうか…なのですが、ただ、日本にはその痕跡が残されていたのです。

日本の蒸留酒、「焼酎」には2つの渡来ルートがあります。一つは、タイから中国に伝わって白酒、朝鮮の焼酎が対馬に入ったルート。そしてもう一つはタイ(当時はシャム王国)と交易のあった沖縄(黒麹で泡盛ができる)、経由で薩摩に伝わったというルートです。こちらは「アラック」に由来した「阿剌吉酒(あらきさけ)」という呼名が付き、蒸留器具も「アランビック」から「蘭引(ランビキ)」と伝わったていることに遥かエジプトの名残が存分に感じられます。

「焼酎」という文字の最古の記載は、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社の改修工事に携わった宮大工二人が残した落書きで、柱貫の一部から見つかっています。「この神社のケチな施工主は一度も焼酎をふるまってくれなかったのが誠に残念 by 作次郎・助太郎 永禄2年(1559年)8月11日」。これは神社正面の目立つ部分の一部で、この時修理したパーツの内側に落書きし、綺麗に嵌め込んであった為、400年後の改修時まで見つからなかったわけです。酒をふるまわなかったケチな座主の悪口を封印して後世に残すとは、しかも堂々の署名入りとはなんとも粋な溜飲の下げ方です。因みに、初期の焼酎はお米や雑穀で作られていたようです(薩摩地方でサツマイモの栽培が始まるのは18世紀以降です。)

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焼酎党の方、お湯割りを作る時アニシードを数粒入れて香りを出してみてはいかがでしょう。「アラキ酒」のご先祖アラックが蘇って、気分は遠く昔のエジプトへ、シルクロードを辿る旅ができるかもしれません