苦い汁とシェイクスピア


ワームウッド

ひな祭りも近づき、そろそろ草餅や草団子が和菓子屋さんのケースに登場するころかと思います。しかしまだまだ寒いこんな日はWarmをお淹れましますので、ゆっくりと体を温めながら春に備えて心身の充電はいかがでしょう。今日はホーチュラスでは扱っていませんが長い歴史を持つハーブ、ワームウッドのお話をいたしましょう。

 

 

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ワームウッド(Armitesia absintium)はヨーロッパ原産で北米、アジア北部、北アフリカなど広く分布する多年草で、雑草として山間部にはどっさり生えています。夏から秋に同じキク科のブタクサと良く似た黄色い小さな花を穂状に咲かせます。どちらも蜂や蝶を惹きつける必要がない風媒花(自分で花粉を飛ばして受粉する花)なのでとても地味な花ですが、花粉症(夏から秋の)のアレルギー源として大注目です。ちなみにブタクサと良く混同されてしまうセイタカアワダチソウは同じキク科でもアキノキリンソウ属の虫媒花(蜂や蝶などに受粉を託す)。あまり花粉は飛ばしませんので犯人扱いしないでください。

 

キク科ヨモギ属には250種以上あるといわれ、草餅やお灸、女性に人気のヨモギ蒸しなどに利用されるアジア原産のオオヨモギやニシヨモギなども含まれます。いずれも学名には女神「アルテミスの」Artemisiaが属名として頭につきます。ギリシャ神話によると、アルテミスは自身が生まれた直後から母親のお産を助けたり、潮の満ち引きを銀の鎖で操つったり“女性の月経や分娩を司る女神”とされています。弓矢の名手でもあり、その矢を使って難産や産後の肥立ちが悪く苦しむ女性に「安楽死」を与えて救済するのだとか。いくらお産は命がけとはいえ、女神だったら他に助ける方法を思いつかなかったのでしょうか…。

 

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旧約聖書による“ワームウッドはエデンの園から追放された蛇(ワーム)が這った跡から生えた草”という説から、邪悪、忌み嫌われるものの例えとなったり、数多あるハーブの中でも極め付きのその苦さから「苦い」例えに使われます。日本名もそのものずばり「ニガヨモギ」。

ハーブに造詣の深かったシェイクスピア作品には、やはり多々登場しています。なかでも有名なのは『ハムレット』。父を殺して王の座を奪った叔父と、その叔父とすぐに再婚した母に復讐を計画したハムレットは、旅役者一行に父の殺害に似た場面を叔父の前で演じさせます。劇中の「再婚なんて夫を殺すような悪妻でもなければするはずがない」という台詞に顔色を変えた叔父を見て、ハムレットが「wormwood, wormwood」と呟きます。これは「おまえ達にはニガヨモギくらい苦く聞こえる台詞だろうさ、」といった感じの比喩で使われているといわれていますが…もっと怒りを込めた罵詈雑言だったのではないでしょうか。

 

 

また『ロミオとジュリエット』では、ジュリエットの乳母が「あたしが乳首にワームウッドの汁を塗りつけて昼寝をしていると、ジュリエットお嬢様はそれを嘗めなさって大騒ぎでおむずかり、その日からやっと乳離れされましたですよ」と、語ります。日本では今でも辛子やワサビを使う方法もあるようですが…当時のイギリスではワームウッドが使われていたのですね。

余談ですがこのジュリエットの乳母はシェイクスピア作品のなかでも一番の下ネタ好き。シェイクスピアの戯曲にはご存知の通りユーモア、皮肉、残忍、卑猥な台詞が、比喩や隠語俗語を使って大量にちりばめられています。16世紀、芝居というものが教会で宗教や道徳を説く素人の劇から、役者が演じる演劇へと変化した時代です。テーマは意外に三面記事的な人間臭い悲喜劇で、社会風刺やブラックユーモア、娯楽性を交えた脚本と演出があったからこそシェイクスピアは大人気だったのでしょう。シェイクスピアなんて哲学ぶった小難しい台詞や乙女チックな筋書きが…というイメージで敬遠している方、今更、と云わず松岡和子さんの軽妙な訳で(ちくま文庫のシェイクスピア全集)ぜひもう一度読んでみてください。さらに彩流社の『本当はエロいシェイクスピア 』小野俊太郎著は大人ならではの読み方を教えてくれます。

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薬としてのワームウッドは「ワーム=にょろにょろした足のない虫」の名に因み、3500年もの昔から古代ローマで虫下しに使われてきました。その後、腹痛やけいれんを抑える薬、リウマチの痛み止めや分娩促進の湿布薬にも使われました。また葉や枝を燃やした灰の軟膏が毛生え薬、ひげを濃くする薬になったという怪しげな使い方もありました。紀元一世紀に古代ギリシャの医師ディオスコリデスが編纂した薬物誌「マテリア・メディカ 」には強壮・食欲増進・解熱といった薬効が記されており重要な薬草の1つとして扱われてきました。現在英国薬草薬局方では虫下し、健胃薬、胆汁促進薬としての効能が認められていますが、妊娠中、授乳中は禁忌、また長期の服用が禁じられています。

 

中世ヨーロッパでは生活用品として、ノミや蚊、ダニ除けに、干した葉を床に撒いたりベッドに敷いたり、袋に詰めて衣類の防虫剤として利用されていました。これも「ワーム」の名だたる所以でしょう。

 

ガーデニングでは茎葉や花から漂う甘い芳香、産毛で銀色に光り深い切れ込みが美しい葉が人気の植物です。またキャベツのモンシロチョウ対策、果樹類のガ対策に効果があるコンパニオンプランツとしても利用できます。ただ地下茎から他の植物の発芽を抑制する物質を分泌するので、同じ土で根を張らせずに鉢植えにして近くに置くとよいでしょう。

 

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ワームウッド、といえば切っても切れないのがお酒との縁。ホップが普及する以前はビールの苦味付けに使われていたり、消化促進、食欲増進の食前酒(フレーバードワイン)で有名なベルモット(ニガヨモギのドイツ名wermut、古英語名wermodに由来)が作られています。そしてなんといってもワームウッドの名を広めたのは「アブサンAbsinthe」。19世紀のベルエポックの時代にパリで大流行し、「緑の詩神、禁断の酒、悪魔の酒」などの異名で名だたる芸術家達を虜にしました。このアブサンにまつわる甘く危険なエピソードは、またいつか…