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湯煎鍋と悪魔くん

雨が早々に開けてしまい連日の30度越え…今朝は顔色がすぐれませんね。猛暑の日や雨の日とサイクルが重なってしまうとPMSが強く起こる方、少なくないです。ご自分の体の声に耳を傾ける時間もなくお忙しく活躍されている40代女性のあなたに、今プレメノを淹れましょう。前の晩に作っておいても良いですので、このお茶は毎朝しばらく続けてみてください。お茶を待つ間、プレメノにも入っているレディースマントルのお話でもおつきあいください。

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レディースマントルはバラ科アルケミラ属(ハゴロモグサ属)の総称で、ヨーロッパ全域からコーカサス地方、北極圏内、またアフリカからインド、スリランカ、インドネシアの高山地帯といった幅広い地域に、約1000種以上も自生している多年草です。日本にも北海道夕張岳や北アルプス白馬辺りにAlchemilla japonica という種が自生していますが、現在は絶滅危惧種。初夏から夏にかけて黄緑色の小花をカスミソウのように密集して咲かせますが、花弁に見えるのは萼片です。シルバーの綿毛が光る葉の風合いと緑系の花が花材としても人気がありますし、這性の宿根草なのでガーデニングでもよく使われている植物です。

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薬効のある種Alchemilla vulgarisは、日本で一般的によく見られるAlchemilla mollis比べると、花が小さくより緑がかっています 葉のお茶は女性の生殖器官全般のトラブルと、お肌の調子を整える効果があると「女性の美と健康の薬」の代表的なハーブとして、古くからヨーロッパやアラブ諸国で安定した人気を誇ってきました。17世紀のイギリスのハーバリストで医師で天文学者で占星術士のニコラス・カルペパーは謂いました、「垂れ下がった乳房を元に戻すにはレディースマントルがいいのだ」と。

工芸品の様に美しく扇のように折り畳まれて芽生える葉は、丸く開くとベルベットのような柔毛に覆われています。その為表面張力の力で朝露や雨粒を美しく輝く粒にして集める様子から”デューカップ(露のカップ)”とか、波型に浅い切れ込みが入った様子から “レオントポディウム(ラテン語でライオンの足)”と呼ばれていました。16世紀になると、ドイツの医師で牧師で植物学者だったヒエロニムス・ボック(Hieronymus Jerome Bock)が、「Our Lady=聖母マリア」のマント、レディースマントルと命名しました。このボック氏は主著『新植物書』(1539)で800種以上の植物を草と木に分け、さらに葉の形態によって種類分けをするという独自の分類法を編み出した植物分類学者として偉大な功績を残しました。またボックさんはワイン界でも有名人。ドイツのライン地方で親しまれていた一地酒を、1552年に自著の中に初めて「Rieslingリースリング」という品種名を正式に記した人なのです。今や世界中のワイン好きが“夏に飲みたいNo.1白ワイン”と認める人気のリースリング、暑い日はキリッキリに冷やしてボックさんにToast!

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さて、13世紀頃から錬金術がかつてないほどのブームを迎えていた中世ヨーロッパで、レディースマントルの葉に溜まる宝石のように輝く露の玉には神秘物質を含まれている、と言われて珍重されていましたが、聖母マリアの名がついた事でさらに神聖味が増し「この露こそ霊薬だ!」とか「賢者の石に必要なマジックポーションだ!」と、錬金術師達が熱狂して群がりました。そこからレディースマントルの属名は錬金術を意味するAlchemyを語源とするアルケミラになったといわれます。(アラビア語のalkemelyeh(絹状の柔毛)説、ギリシャ語のKhumos(植物の汁)説もあり)

ここでちょっと錬金術のお話です。古代ギリシャに端を発した錬金術はヨーロッパで何度も流行を繰り返し、やれ鉛から黄金が作れるだの、やれ石ころが宝石になるだの、やれ魂を高めて神と一体化するだの、やれ不老不死の霊薬を作るだの、と人間の欲望をかきたてました。それは鬱屈した下流民衆から廃頽した上流貴族までもを夢中にさせ、闇の黒魔術や黒ミサなどオカルトの世界から猟奇的なエロ黒犯罪史をも残しました。またフリーメーソンなる謎の秘密結社も結成され、現在も世界中に支部を置いています。(ちなみに日本支部の本拠地は東京タワーの足元にあり。)しかしそんな怪しさと一線を画して見れば、科学技術を探求する錬金術師たちが現代テクノロジーの源を確立し、化学や科学、物理学や医学、天文学など様々な学問を発展させてきました。17世紀に万有引力を発見したアイザック・ニュートンもその一人です。身近なところでは錬金術の実験器具として発明された蒸留器のお陰でウイスキーや焼酎が飲めたり、マイセンをはじめとする美しいヨーロッパ磁器が生まれました。

一方、中国にも不老不死の霊薬「仙丹を作る」を探求する錬金術そっくりの「錬丹術」なる術がありました。この研究も中国医薬や本草学、化学技術に貢献し、火薬の発明に成功したのも錬丹術の成果です。

 

そんな錬金術師達の開祖、師の中の師と云われるのが、2~3世紀ごろエジプトのアレクサンドリアに実在した「ユダヤ人マリア」(別名ヘブライ人マリア、預言者マリア、一説によるとモーセの姉ミリアムと同一人物説もあります)という女性錬金術師だそうな。”錬金術は台所で始まった”といわれるように、実は多くの女性錬金術師達が活躍していたのですが、優秀がゆえに怖れられ、”魔女”として迫害されたケースも少なくなかったのです。

今日の私達が目にできるこのマリアさんの遺したものが2つあります。1つ目は料理用品の湯煎鍋で、バン・マリー(Bain Marieマリアの湯舟の意)と呼ばれています。これはマリアさんが錬金術の実験中に発明した金属を溶かす二重鍋が由来なのだとか。フランス料理では湯煎する事や湯煎して作るソースにもバン・マリーという用語が使われています。

2つ目は古典の名作、ゲーテの戯曲「ファウスト」(1808年)第一部、女の厨の場面。数字の魔法陣を解く時にかけられる呪文「Des Hexeneinmaleins 魔女の九九」です。“汝、一を十となせ、二を去るにまかせよ、三をただちにつくれ、しからば汝は富まん、四は棄てよ、五と六より七と八を生め。かく魔女は説く。かくて成就せん。すなわち九は一にして、十は無なり。これを魔女の九九という”

この文句はマリアさんが残した格言をゲーテがなぞったのだとか。不思議で魅力的な呪文です。魔法陣と共に解読に兆戦してみてください。

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ゲーテは子供の頃に旅回りの人形劇で観た「悪魔に魂を売り渡した錬金術師ファウスト博士」の伝説に深く魅了されます。ドイツに実在した何人かの錬金術師達の逸話を織り交ぜた戯曲「ファウスト」に生涯をかけて取り組み、死の5日前に書き上げました。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ドイツ東部のライプチヒにAuerbachs keller(アウアーバッハス・ケラー)という老舗レストランがあります。ライプチヒ大学の医学部教授だったアウアーバッハ氏が『ワインは正しく飲めば病気予防になる』といって、1525年に自宅のワインセラーに学生の為の酒場として開いた店です。18世紀後半、この大学に遊学していたゲーテが店の娘ケートヒェン目当てにこの店に通い詰め「ファウスト」にも登場させたことから有名店となります。

時は1885年、軍医としてドイツ留学をした森鷗外はライプチヒ大学で学ぶ中、哲学者の井上哲次郎とゲーテゆかりのこの店を訪れ、雑談の中から「ファウスト」翻訳を思いつたのだとか。こうして1913年に日本初の「ファウスト」が本名の森林太郎名義で が出版されました(ちくま文庫・青空文庫)。余談ですが、このレストランはバブル当時に日本人観光客が多く来てくれたことに気を良くしたのか、2009年に羽織袴姿の森とスーツ姿の井上を描き込んだファウストの一場面を大きな壁画にしてしまいました。この壁画は微妙ですが、16世紀そのままのインテリアは一見の価値ありです。

錬金術師ファウストの伝説は世界中の文化にも影響を与え、オペラ、映画、ミュージカル、バレエ、絵画、小説、音楽など様々な分野でモチーフとなってきました。ファウストの漫画化に挑み続け、3度目の「ネオファウスト」が未完の絶筆になってしまった手塚治虫、ゲーテの言葉が自らの思想の背骨と語りファウスト博士へのオマージュ「悪魔くん」を残した水木しげる…日本の漫画界のレジェンド達だけでなく、アニメやゲームといった21世紀現在のポップカルチャーにまで新鮮な影響を与え続けていることこそ、錬金術というファンタジーのなせる業なのでしょうか。

「ファウスト」にご興味もたれた方、是非2011年のヴェネチア映画祭で金獅子賞に輝いたアレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『ファウスト』(2011ロシア)の美しい映像で中世の世界に浸ってみてください。もし文字で読むなら『史上最高に面白いファウスト』(中野和朗 2016文芸春秋)絶賛お勧め中です。クスッとしながらスイスイ読破間違いなし。

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猛暑の夏はクーラーの中で読書、これもありですね。そこでもう一冊、先述の湯煎鍋絡みの心地よいエッセイ『バン・マリーへの手紙 』(堀江敏幸 2007岩波書店)。ちょっと難解な部分はスルーしながら読み進めれば、湯煎をするようにゆっくりじんわりくるエッセイです。「思い出が多くなったら、それを忘れることができなければならない」の一行、滲みました。

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読書のお供はもちろんお好みのハーブティーを。そしてBGMにはマーラーの『交響曲第8番』をはじめ、ベルリオーズ、シューマン、リスト、グノーのオペラ…などなどファウスト関連の曲で錬金術感を盛り上げてください。熱中症対策には気を付けて素敵な夏をお過ごしください。